ななめの目

世の中の色々な事どもを斜め目線から切りつけます。仕事のこと、エホバの証人二世の話題、底辺高校の話題など。読者登録して頂いた方は相互でさせてもらいます。


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丸山議員の失言は図らずしも国民の想像力の欠如を露呈させたという話

丸山議員と言う人が「北方領土を戦争で取り返すしかない」という趣旨の発言をしたことが物議をかもしています。

物議と言うよりは国民の多くから一方的に責められているという構図になっています。

それは図らずしも日本人の想像力の欠如を露呈することになりました。

 

先に言っておくと、私はもちろん戦争なんて反対ですし、世界中から戦争も核兵器もなくなれば良いと祈っています。

 

しかし日本を取り巻く国々が、政府の中でどんな議論をしているか知っているでしょうか?

今の日本では、例えば韓国と戦争したら勝率はどれだけで、領土を侵略したらどんな損得があるか、などと言う議論は、議論することすら許されないでしょう。

そもそも日本から他国に戦争を吹っ掛けるなどという議論自体があり得ないこと、タブーなのです。

それはもちろん良いことです。

 

しかしロシアや中国など、多くの国々は違います。

彼らは「軍隊は常に発動させていなければ緊張感がなくなる」くらいに思っています。

そして、政府の中では間違いなく、「この国と戦争して侵略したときの利益がいくら、他国からの制裁や戦争による損失がいくら、差し引きいくらの得」という損得勘定を常にしているのです。常にです。

 

中国やロシアが日本に攻めてこない理由について、日本人は「今さら戦争などという言う時代じゃないから」「アメリカが守っているから」と楽観的に思っています。

しかし、彼らが攻めてこない理由は一つだけです。

日本を戦争で侵略した場合を細かくシミュレーションすると、今のところ得することよりも、損の方が大きいからです。

何かのバランスが崩れて、「侵略した方が得」と言う計算結果が出れば、彼らは一ミリの迷いもなく即座に日本に攻めてきます。それは日本の年金制度なんかよりずっと確実なことです。

戦争を吹っ掛けられる理由が無いじゃないか、と思いますか?

ロシアは言うでしょう。「日本は我が国の領土である北方領土を狙っている、攻められる前に攻めねばならない、これは自衛のための戦争だ」と。

中国は言うでしょう「日本は尖閣諸島を不法に占拠している、戦争で取り返すしかない。これは自衛のための戦争だ」と。

 

集団的自衛権に賛成する人は多いが・・・

集団的自衛権の前に、そもそも日本には自衛のために戦争する権利があります。

自衛のためとは、文字通り領土や国民の財産を他国の侵略から守ることです。

自衛権発動の3要件などがあるにはありますが、こういった内容はいくらでも拡大も縮小もして解釈できます。

例えば北方領土を戦争で取り返すことも、自衛権の範囲と言えるのです。北方領土は第二次大戦後にソ連が一方的に約束を破って攻めてきた結果、奪われました。そして多くの島民が島を追いやられたのです。

国民の生活や財産を守るために戦争で北方領土を取り返すことは立派な自衛行為です。集団的自衛権どころか、自衛権の発動なんか当然だと言う人は「北方領土を戦争で取り返す」に実質賛成していることと同じなのです。

そんなのもう時効ですか?

それなら北方領土を奪われたことも時効ですね。

自衛のためとはいえ、勝てるわけの無い相手と戦っても仕方ない?

じゃあロシアや中国が、北海道を侵略したら?九州を侵略したら?自衛権なんて勇ましいことを言わずに、黙って見ているしかないですね。核を持つ大国に勝てる訳がないのですから。

 

北方領土ではなく竹島だったら・・・?

今回の話が怖いのは、「北方領土を戦争で取り返す」ではなく「竹島を戦争で取り返す」だったらどうだったかと言うことです。

恐らく丸山議員もそれほどまでに責められることはなかったはずです。

竹島よりは北方領土の方が領土的価値はあるにも関わらず、です。

日本人の嫌韓感情が極限まで高まっていることもありますが、「韓国なら自衛隊が本気をだせば勝てる」という思いがあるからでしょう。

結局日本人の考えはこうなのではないでしょうか。

「勝てる戦争ならやっても良い」、「最後はアメリカが助けてくれる」、「日本は永遠に平和なのだから核を持ってまで自衛する必要はない」。

 

北方領土竹島なんて、戦争してまで取り返す価値があるとは思えませんが、結局そこを簡単にあきらめたら、次は対馬、九州、北海道と、際限なく奪われることになるわけです。

 

何が言いたいかと言うと、戦争するかどうかは政府内ではきっちり議論すべきですが、それを表立って言うのはナンセンスですし、国民は「確かに自衛のための戦争なら有りということになるわな」「やっぱり核を持たないと国は守れないな」と気付くべきです。そういう世論になれば、ロシアも北方領土を返す可能性が出てきます。結局のところ、この残酷な世界では核を持つ国しか安心はできないし、戦争を生理的に嫌う国は戦争を厭わない国に勝てない、と言うことです。

残念ながら。

 

 

自分探しに遅すぎると言うことはない

もう2月も終わって、もうすぐ3月です。

学生の方なら、3月と言えば卒業の時期だったり、学年が上がる時期ですね。

社会人の方は異動があったりしますが、ほとんどの人は今まで通りの仕事をすることでしょう。

この時期になると人生に迷う人も多いのではないでしょうか?

私も毎年迷うのです。

今の仕事が自分に合っている、大好きだ、天職だ、そう思える人はとても幸せです。

でも心からそう思える人は社会人として働く人の内、5%も居ないのではないでしょうか?

ほとんどの人はお金のため、生活のために仕方なく働いているか、もしくは嫌だと思う感覚を押し殺して働いているか、もしくは他に選択肢が無いと自分に言い聞かせているか、変化が面倒で惰性で働いているか、いずれかではないでしょうか?

 

私の同僚にすごく営業成績の良い後輩がいます。

常に予算大幅達成とはいきませんが、おおむね予算は達成しますし、予算が達成できない時でも「こういう状況なら仕方ないな」とだれもが納得するような場合だけです。

彼は恐らくうちの会社で役員を目指せるかもしれません。

それくらい優秀ですし、誰よりもハードワークをしています。

ところが、彼は自分の会社の製品を愛してはいないのです。そして、仕事も好きではありません。

家に帰って仕事のことを完全に忘れ、ゲームをしている時間が一番幸せだそうです。

でも彼は言います「自分はプロだから、好き嫌いで仕事を考えてはいけない。モチベーションが湧かなくても全力で仕事をしなければいけない」

そして、好きでもない仕事を、歯を食いしばって、常に全力で、手を抜かず、気を抜かず仕事に当たっています。

転職とか、今の仕事が自分に合っているかどうかなんて、そんなこと考えることも無いそうです。

まるで働きアリのように、そして、自分の人生はそのように運命づけられていると諦めているかのようにも見えます。

後輩ですが、私は尊敬しています。

しかし、尊敬はしますが、その精神性は真似できないし、真似したいとも思いません。

 

最近は時代も変わってきて、転職もやりやすくなりましたし、インターネットを使った副業もやりやすくなりました。

一度会社を辞めても再就職はしやすくなりましたし、会社に頼らない生き方も増えています。

しかし、やはり良い大人が「自分のやりたいことを探す」「会社を辞めてフリーになる」ということは、恥ずかしいこと、未熟なことだと思われる風潮があります。

でもそれは本当に未熟で恥ずかしいことなのでしょうか? 

 

生きている限り、自分に最適な人生を誰もが模索し続けるべきだ

最近は平昌のオリンピックがにぎわっています。将棋の藤井聡太さんの活躍も目覚ましいものがあります。

アスリートにせよ、プロ棋士にせよ、彼らは自分の技術を向上させるため、より上を目指すために常に探求し続けています。

トッププレイヤーは少しでも新しい優れた練習法があると聞けばそれを試します。常に自分を向上させる情報を求めているのです。

逆に情報を断って、新しいことを取り入れず、昔から続けている練習法を頑なに続けているような人はトッププロにはほとんど居ないことでしょう。

技術革新が早く、AIの進歩も目覚ましい現代で、変化していかない人はトップには立てないからです。

将棋の世界でも、今はAIを取り入れた練習をしているプロがほとんどでしょう。

仕事の世界でも、10年前、20年前の仕事のやり方や事業方針を頑なに貫いている会社は生きていけません。

事業で成功するためには、一度立てた事業方針も日々「本当にこれで良いのか?」と考え続けることが必要ですし、新しい状況が生まれたら「事業の進め方について、見直すべき点は無いか?」と考え直すのが普通です。

それは別に変化の激しい現代に限らず、どんな時代でも同じではないでしょうか?

 

それなのに、個人の人生だけは「良い年を過ぎたら落ち着かなければいけない」とか、「不惑の歳だ」とか、「同じ会社で頑張って勤め上げるのがまともな人生だ」などと考えるのは、はっきり言って異常です。

 

会社の事業は人生と違って失敗してもやり直しがききます。

それでも、最後の最後まで油断なく、抜かりなく、変化に合わせた状況判断を求められるのが事業運営なのです。

個人の人生も同じです。

例えばあと5年で定年を迎える人が、「あと5年で定年だから、我慢して何も考えず勤め上げよう」と考えるのは、最後の最後で詰めが甘くて事業を失敗させるのと同じことなのです。

もちろん色々模索したり、考えに考えたけど、結果的に「同じ会社で定年まで働いた」「今と同じ仕事を死ぬまで続けていた」ということはあるでしょう。それはそれで良いと思うのです。

しかし、「もう良い年だから会社を辞めるなんて考えることも許されない」「新しいことを始めるなんてありえない」と盲目的に信じて、好きでもない仕事を我慢して、もしくは他の事から目を切ってやり続けるのは端的に言って、人生の消耗です。

もし、今の仕事が、人生が、「何か違う」と思うのであれば、そこから決して目を切らずに、絶対に他の人生を模索し続けるべきです。

すぐに仕事を辞めろとか、明日家出をしろとか言う話ではありません。

しかし、模索はし続けるべきなのです。

自分に最適な人生が他にないのか?

もっと幸せになる方法は無いのか?

幸せそうな人はどんなことをしているのか?

自分がうらやましいと思うのはどんな人か?

その人のようになるにはどうしたら良いのか?

いくら模索しても、結果的に何も変わらないかもしれません。

「何か違う」と思っていた今の生き方が、実は自分にとって最適な生き方だったことに気付かされるだけかもしれません。

でも、「この年になって自分探しなんて・・・」とか、「〇〇歳を過ぎて転職なんて・・・」とか「家族に迷惑をかけるから・・・」などと言うことを理由に、何も考えずに惰性で今の「何か違う」と思う人生を送り続けるのは大問題です。

 

私は常に自分の人生に疑問を持ち続けています。

そして常に模索し続けています。

結果的に何も変わらなくても、模索し続けた結果だから仕方ないと割り切れます。

自分探しをするのは未熟なことではありません。

人が自分探しを止めて良いのは、死ぬ時だけだと思うのです。

時代や状況に合わせて主張を変える、身勝手なエホバの証人

最近話題のいしいさやさんのマンガを読みました。

いしいさやさんは私と同じエホバの証人の家に生まれ、エホバの証人2世として子供時代を過ごされました。

今はどこまで戒律が厳しいか知りませんが、以前はエホバの証人の家に生まれると言うのは想像以上に大変なことでした。

エホバの証人の家に生まれると、記憶しているだけでも以下のような不自由があります。

 

〇誕生日、クリスマスのお祝いは一切なし

〇校歌、国家斉唱で立ってはいけない

〇格闘技禁止

〇週3回の集会は絶対出席

〇学校よりもエホバの勉強優先、必須

〇過激なマンガ禁止

〇テレビは基本禁止

エホバの証人以外の人との交わりは極力避ける

〇給食のクジラの肉を食べられない

〇輸血禁止、最悪死ぬ

〇戒律を破るとムチで暴行

〇進学よりもアルバイトしながら布教活動を勧められる

〇子供よりも宗教優先と明言する

 

しかし、これらの戒律も最近ではかなり変化してきているようです。

 

私がエホバの証人を嫌いなのは、これだけ厳しい戒律にを押し付けてきた彼らが時代背景や状況次第で都合よく戒律や教義を変化させてきたからです。

 

例えば、私が子供のころはテレビは禁止されてきました。

サタンの世の中のことを頭に入れるのは良くないからです。

しかし、今でも熱心な信者である母は、現在普通にテレビを見ます。

私が問いただすと「最近はね、別に良いみたい・・・」と言葉を濁します。

 

サタンの世を完全否定しておきながら、iPadを布教活動にフル活用したり、生活保護を受け取ったり、サタンの世のシステムを最大限活用して彼らは活動します。

 

そして私が子供のころあと2-3年で楽園が来る、急がないとみんな死ぬ、そう言って脅迫まがいの活動をしていたことについても公式な謝罪など何もありません。

 

表面的には善良で良い人たちばかりの集まりですが、根本的なところでどこかおかしいのです。

道理にかなっていないのです。

企業であれば、こんな根本的なところで嘘を言ってだましていたなら即倒産、解散です。

 

母は今でも我が家によく遊びに来ます。

私は結婚していて妻もいます。

私も妻もエホバの証人とは無関係です。

母は、孫も可愛いようです。

しかし、私がエホバの証人のままで、母の言う通り布教活動に励んでフリーターをしていたら、結婚して孫を持つことも出来なかったでしょう。

母が遊びに来るような余裕も無かったかもしれません。

孫と楽しそうに遊ぶ母を見ると「この世の人と交わったらいかんのやんね?エホバの証人じゃない我々とは絶縁すべきじゃないの?」と嫌みの一つも言いたくなります。

 

久しぶりの更新ですが、ただのボヤキになってしまいました。

他人に迷惑をかけることなんて気にしない方が良い/そもそも権力と言うのはより多くの人に迷惑をかける力のことだ

早いもので、もう年末になりました。

ブログを始めてから早くも3カ月以上が経とうとしています。

最近仕事が忙しくて更新に間が空いてしまうことが多かったのですが、少し時間ができれば更新頻度を増やしていきたいと思います。

 

それにしても今年も色々なニュースがありました。

国際問題では、北朝鮮の核問題、トランプ大統領就任、経済界では東芝の危機やビットコインの急騰など、ほとんどのニュースは昨年まで「そんなこと起きるわけない」と思っていたようなことばかりなのです。

そして、多くのニュースは一握りの権力者たちが原因で引き起こされるものです。

 

北朝鮮問題なんて、まさにそうですよね。

金正恩は自分の権力を維持するために、自国の国民や、外国の人たちにどれだけの迷惑をかけまくっているか、数値化すれば凄まじいものにあるでしょう。

 

私も仕事でミスをして他人に迷惑をかけることがありますが、私が他人にかけている迷惑なんて、金正恩に比べれば巨大隕石とBB弾くらいスケールが違います。

私が、この先の人生でどれだけ人に迷惑をかけようと思っても、金正恩ほどの迷惑を人に及ぼすことは絶対にできないでしょう。

 

金正恩とまではいかなくても、東芝の経営陣にしても同じことです。一部の上層部の判断で原発事業を推し進めたばかりに、超一流と言われた名門企業が、存亡の危機に立たされているのです。

数万人、関係会社を含めると10万人以上の人たちに人生を狂わせるほどの迷惑をかけ、さらに株主にも信じられないほどの損失を与えるような迷惑をかけながら、のうのうと生きている訳です。

その損害額は7000億円とも言われています。

人を死なせるような事故を起こしても、損害賠償額は3000万円から、せいぜい1億円くらいです。

そう考えれば、彼らは1万人くらいの人を事故で死なせた損害賠償に匹敵するようなレベルの迷惑をかけまくっている訳です。

 

凄まじいですね。

私たちとはスケールが違いすぎます。

 

もしあなたが、

「仕事で信じられないようなミスをして顧客に迷惑をかけた」

「受験や就職試験に落ちて親や家族に迷惑をかけた」

「死にたくなるくらい他人に迷惑をかけた」

そんな風に落ち込んでいるとすれば、思い起こしてほしいのです。

世の中には、あなたが数万人がかりで束になってもかなわないようなレベルの迷惑を、見ず知らずの他人にかけまくっても平然としている人が山のようにいるのです。

そして、そういう人はたいていの場合、権力者です。

 

私たちは子供のころから「他人に迷惑をかけてはいけない」「他人に迷惑をかけるのは未熟者だ」そう言って育てられてきました。

なので、他人に迷惑をかければ誰でも落ち込んでしまいます。

しかし、現実は少し違います。

「多くの人に多大な迷惑をかける力こそが、すなわち権力なのです」

私やあなたは、未熟だから人に迷惑をかけるのではありません。

未熟だからこそ、この程度のレベルの迷惑しか人にかけることができないのです。

 

人や組織として成熟し、社会を支配すればするほど、他人に多大な迷惑をかけることができるようになり、実際に迷惑をかけるようになります。

 

先日NHKの受信料について最高裁判所が合憲の判断を下し、テレビ設置から受信料支払いの義務があると明言しました(契約していなくても!)。

一般的な人の一般的な常識感覚からすれば、ほとんど見ないテレビ局に強制的に年間2万円以上も支払えと言うのは理解に苦しみます。

嫌ならテレビを持つことができないと言うのですから、どのような視点で考えても、全く理解できません。

毎月頼んでもいないピザが家に届き、代金を支払わなければ他の食品も一切買わせないと言うのと同じです。

公共放送と言っても、地震や水害で避難所に非難すれば、今やNHKよりインターネットの方がはるかに役に立つでしょう。

しかし、NHKにしろ、最高裁にしろ、彼らは法律を操る絶大な権力者側の存在です。

国民の大半が常識的に考えておかしいと思うことでも、強引に押し通し、結果として国民に対して毎年数千億円規模の絶大な迷惑をかけ続けることができるのです。

 

子供は未熟だから人に迷惑をかけると言いますが、子供たちは未熟であるがゆえに、せいぜい親や教師くらいにしか迷惑をかけるこができません。

NHKに比べれば可愛いものです。

 

我々未熟で権力も無い小市民が、金正恩東芝経営陣、それにNHKのようなレベルの迷惑を世の中に及ぼそうと思えば、それこそ犯罪やテロでもするしかありません。

合法的な方法では、まずそんなレベルの迷惑を世の中にかけることは不可能でしょう。

 

どうでしょうか?

こう考えると、人に迷惑をかけて落ち込んだりするのが馬鹿らしくなりませんか?

だからと言って、いくら人に迷惑をかけても良いわけではないですが、ちょっとしたことですぐに落ち込んでしまうお人良しなあなたには、ぜひ思い起こしてほしいのです。

世の中にはあなたとはスケールが違うようなレベルの迷惑を世の中に撒き散らしている権力者がたくさんいるということを。

ちょっと人に迷惑をかけたり、失敗したくらいで、「死んでしまいたい」などと考えることがいかに馬鹿らしいことか、よく考えて欲しいのです。

 

本当の強さとは人のためでなく、自分のために生きられること

ずいぶん寒くなってきましたね。

人恋しくなる季節ですが、結局人気のある人の周りに人が集まり、人気の無い人は寂しいままなんですね。

残酷な世の中です。

 

ところで、世の中ではあの人は強い人だとか、あの人は弱い人だとかいう言い方をすることがよくあります。

そう言うときの強い、弱いと言うのは色々な意味があって、風邪を引きにくいとか、ケガをしにくいとか、体の頑丈さを言うときもあれば、メンタル的なことを言う場合もあります。

 

メンタル的に強いと言われる人はどんな人でしょうか?

一般的には、どんなことがあっても落ち込まずに元気でいられる人、いくら叱られても気にする様子もなく平然としている人、どんな厳しい状況でも前向きでいる人などでしょうか。

 

私は会社人生の中で、心を病んで二度と会社に来なくなった人、もしくは復帰できた人をそれぞれ何人か知っています。

心を病んで二度と会社に来なくなった人の中には、いくら叱られても平然としていて、どんなミスをしても明るく前向きな人がいました。

しかし、その人はある日突然会社に来ることができなくなってしまいました。

本当に突然です。

「私はうつ病になりました。もう会社に来ることができません」

その人は、ある日突然そう宣言しました。

彼があまりにもメンタルが強いように見えたので、上司も「こいつにはいくら言っても大丈夫」と思って、さらし者のように公開説教をしていました。

 

私はその時に思ったのです。

「いくら叱られても平然としている人が、必ずしも強いわけではない」

むしろ、叱られるとすぐに落ち込み「こんな会社辞めてやる」「あんな上司死ねばいいのに」そう言ってさんざん同僚にグチをこぼし、荒れて、落ち込む人の方が、病気になったり会社を休む傾向は少ないのです。

 

頑丈な岩はいくら叩いてもびくともしません。

あまりにも様子が変わらないから、叩く方は容赦なくどんどん叩きます。

するとある日突然割れてしまいます。

割れてしまった岩は二度ともとには戻りません。

 

一方で、スポンジは叩けば簡単にへこみます。

水をかければ湿って重くなります。

しかしへこんだスポンジはすぐに元に戻ります。

濡れたスポンジもすぐに乾きます。

 

どんなにひどく叱られても落ち込まない人は、ある意味でプロ意識の強い大人なひとなのかもしれません。

しかし自分の気持ちを押し殺しているのです。

周囲のことを考えて自分の気持ちを押し殺しているのです。

 

一方で少し叱られただけで目に見えて落ち込む人は、感情的で子供っぽいのかもしれません。

しかし、自分の気持ちに素直なのです。

周囲のことより自分のことを優先しているのです。

 

どちらが強い人なのでしょうか?

 

 

私の同僚に、少し変わった人がいます。

彼はどんなことでもはっきりと主張します。

「飲み会するけど来ない?」

あまり気の進まない飲み会に誘われた時、彼はこう答えます。

「自分はそういう飲み会とか好きじゃないから、誘われても絶対行かないから、二度と誘わないで」

もちろん二度と誘われなくなります。

ゴルフに誘われても「自分はそういうのは嫌いだから」ときっぱりと断ります。

 

飲み会などの付き合いは誘われたら「嫌だけど我慢していく」人が多いものです。私も気の進まない飲み会などに渋々参加することがよくあります。

 

気の進まない飲み会でも、我慢して参加する方が、周囲に合わせられる強い人、大人な人だと誰もが考えます。

 

でも本当にそうなのでしょうか?

 

私は最近違うような気がしてきました。

 

はっきり言えば、自分を押し殺して人に合わせて行動する方が、実は楽なのです。

なぜでしょうか?

それは他人を傷つけるより自分を傷つける方が気持ちが安定するからです。

その上、その選択は社会的な「正しさ」が保証されているからです。

 

しかし、周囲に合わせて自分の感情を押し殺して生きること、それは本当は誰も幸せにならない選択かもしれません。

 

自分の気の進まないことはきっぱりと断る彼は、意外にも職場で孤立していません。

むしろ人気者です。

空気を読んで、断れない私なんかよりもずっと人気があります。

そして彼自身も生き生きとしています。

それは、結局のところ「その場しのぎの安易な選択で、自分自身を追い詰めていない」からです。

 

空気を読んで、周囲に合わせて、「一見人のためになる」ような選択をする方が実は楽な生き方なのです。

本当に強い人は「自分のために」生きることができます。

自分を傷つけるようなことを安易に引き受けません。

我がままと言われても自分の幸福を優先します。

そして、そういう人は敵も作りますが、結果的には味方も増えて、幸せに生きられます。

 

そんな気がします。

 

いつも我慢してばかりの人、他人に何かを頼まれるといつも嫌と言えない人、たまには自分の気持ちを開放してあげましょう。時には自分のために他人のお願いを断りましょう。

 

自分以上に大切な他人なんて、そうは居ないのですから。

 

自分のやりたいことをやるのは素人、状況に合わせて動けるのがプロ/主婦は手元にある食材で料理を作る

また久しぶりの更新になってしまいました。

 

もっと更新頻度を上げたいのですが、仕事をしているとなかなか難しいものです。会社勤めをしながら、何カ月もの間、毎日ブログを更新している人は本当にすごいと思います。

それだけのエネルギーがあればきっとどんなことでも成功できるでしょう。

なにせ、毎日続けられることが成功の一番の近道ですから。

 

ところで、話は大きく変わりますが、我が家では料理は妻が行います。

私は基本的に料理をしません。

でも、たまに休日に料理をすることもあります。

私が作る時は、もちろん私自身が作りたいものがある時です。

 

先日、私はパスタを作ることにしました。

トマトとナスのパスタです。

 作り方を見ながら材料を買いそろえます。

トマトもナスも、家にありません。

全ての材料や足りない調味料などを買うと1500円くらいの出費になりました。

一食作るのに1500円というのははっきり言って高いです。

毎食1500円かけていたら、夕食代だけで月に45000円になります。

とんでもなく非常識な値段ではないですが、かなり高いと言わざるをえません。

 

このあたりが男の考えと言うか、突発的に作りたいものを作ると、こういうことになってしまうということなのです。

 

ちなみに、もしその日に私がパスタを作らなかったら妻は何を作っていたか尋ねてみました。

「冷凍の豚肉と冷蔵庫のピーマンでいためものを作って、それから、冷蔵庫のほうれん草でおひたしを作っていた」

と言います。

それらは全て妻がスーパーに行った日に特売になっていたものですから、安いのです。

恐らく、私のパスタの半分くらいのコストでしょう。

妻は特段節約や量に頭を使っている訳ではなく、自然と「冷蔵庫の残り物で料理を作る」、スーパーでは特売の物を買うという行動が染みついているのです。

その日に何を作るかは「自分が何を食べたいか」ではなく、「冷蔵庫に何があるか」で決まるのです。

 

おおげさかもしれませんが、これがプロの主婦なんだなと、私は感心しました。

 

自分が何を食べたいかを基準に料理を作ると、食材はほとんどが足りないということになります。

たまたま自分が食べたいものの材料が冷蔵庫にあればラッキーですが、そんなことは稀です。

そして、スーパーに買いに行って、たまたま自分が欲しい食材が特売ならラッキーですが、そんな可能性もとても低いです。

 

こうして、食べたいものを食べるために、余分なコストと労力を使ってしまうわけです。

妻が私のような考え方で、毎日自分が食べたいものを一から買いそろえて料理をしていたら、我が家の貯金は今頃ゼロでしょう。

 

ビジネスで成功したいなら「自分の好きなように仕事をしない」方が良い

仕事は大変です。

自分で経営者としてビジネスをしている人はもちろん、会社勤めも大変です。

自分の好きなように仕事をして成功できれば最高ですが、なかなかそうは行きません。

以前の記事では「続けられることが大事だ」と書いていましたし、「好きなことを仕事にしないと続けられない」というようなことも書いていました。

 

しかし、「好きなことを仕事にする」ということと、「自分の好きなように仕事をする」こととは全く別物です。

 

先ほどの料理の例で言うと、その日に突然食べたいものを思いつき、必要な食材を一から買いそろえる私の行動は「自分の好きなようにしている」典型例です。

自分の好きなように食べたいものを食べると、余分なコストと労力を支払わされるわけです。

じゃあ「好きなことを仕事にする」というのはどういうことになるでしょうか。私の妻は肉料理が好きです。しかし、その日に使う肉をその日に買いに行くような間抜けなことはしません。特売の日に豚肉や鶏肉を買い込み、冷凍しておくのです。

そうすることで、好きな日に肉料理を作ることができます。

肉料理が好きだから、効率よく低コストで食べるために、周囲の状況(=スーパーの特売日)を見ながら、きちんと準備と段取りをするのがプロなのです。

今はインターネットでいくらでも料理の作り方を検索できる時代です。

「料理くらい誰でもできる」

そんな風に思う男性方は多いことでしょう。

しかし、「料理ができる」ことと、「主婦として料理ができる」ことは、大げさですが、草野球とプロ野球くらいの差があるのです。

 

自分の好きな料理がいくつかあって、それが普通に作れるなんて、誰でもできることです。そんなのはアマチュアの世界です。

しかし、冷蔵庫の中にある限られた食材の中から料理の候補を絞り込み、そして冷蔵庫の中身と相談しながら特売の日を狙って買い物に出かけて何を買うか考え、買った材料を捨てることの無いように計画的に使い切る。

そんなことをほぼ毎日行っているのがプロの主婦なのです。

 

料理なんて大したことないと思っている男性の方々は悔い改めましょう。

少なくとも私は妻のようにはできないと感じました。

 

ビジネスも同じだと思うのです。

ラーメンが好きだからラーメンの店を開こうと考える人はたくさんいます。

「ラーメン屋を開けば自分の好きな味のラーメンを毎日食べられる」

そんな風に思うのかもしれません。

しかし、以下の記事にもあるように、飲食店経営は超激戦のレッドオーシャンの世界です。

gendai.ismedia.jp

ラーメンが好きだからラーメンを作る仕事をしようと考えるのは、世の中の需要や状況を無視して、自分の好きなように仕事をしているだけなのです。

ラーメンが好きだからラーメンにかかわる仕事をしたいと考えるなら、他にも無数に方法があります。

大手のラーメンチェーン店に社員として入社しても良いでしょうし、ラーメン関連のライターになっても良いでしょうし、潰れそうな製めん所を買い取ってビジネスを立て直すというような方法もあるでしょう。

 

サラリーマンでも同じで、私もそうですが、多くの人は自分のやりたいように仕事を進める傾向があります。

客のところに行くのが好きだからと言って、何も考えずに顧客訪問ばかりしている人もいれば、客のところに行くのが嫌いだから一日中パソコンとにらめっこばかりする人もいます。

そういうタイプの人は、残念ながら仕事ではあまり成功できません。

 

当たり前のことですが、できる人は周囲の状況や顧客や世の中のニーズを見ながら今自分がやるべきことを淡々とこなしていきます。

自分が何をやりたいかは問題ではないのです。

 

サラリーマンにしろ、経営者にしろ、自分のやりたいように仕事をしているうちはアマチュアだと言うことです。

好きなことを仕事にしたいのなら、自分の好きなことを仕事にするためには世の中のどんなニーズに応えて、どんな状況を利用するか考えないといけないと言うことです。

このブログも、私は好きなことを書いて、好きな時に更新しているので、全然PVは伸びません。

 

はあ・・・。

どんなことでも、ちゃんとやろうと思うと大変だ。

みんな自分の長所が大好き/客観的に自分を見るのは難しい

最近ブログの更新頻度が落ちてしまいました。

ブログが嫌になったわけではなく、仕事やら出張やらで一時的に忙しくなったせいです。

久しぶりに書くとなんだか緊張します。

毎日書いていると、何の緊張感も無く書けてしまうのに、間が空くとまるで知らない人に裸を見られているかのような緊張感を感じてしまいます。

 

声優の鶴ひろみさんが亡くなってしまわれたようです。

ドラゴンボールのブルマの声やアンパンマンドキンちゃんの声をされていた有名な声優さんです。

非常に残念ですね。

これからアンパンの新作が出るときにはドキンちゃんの声はだれがするんでしょうか?

 

人間はいつ死んでしまうかわかりません。本当にわからないのです。

あなただって、今日死ぬ可能性があるのです。

えっ?自分は死なない?

じゃあ死なないんでしょう。

 

それにしても自分のことを客観的に見るのはとても難しいものです。

かのホリエモンは「自分は死なない」と言っていたそうです。

ホリエモンほどではないにしろ、「自分だけは死なないかもしれない」と冗談抜きで思っている人は意外に多いと思うのです。

そこまでではなくても、「当分死ぬことは無いだろう」「死なんていうものは当分は別世界の出来事だ」と漠然と考えながら生きている人はたくさんいます。

というよりもほとんどの人がそう思って生きていることでしょう。

「死」を身近なものとしていつも自分の隣に置いて生きている人はほとんどいません。

断言できます。

 

どうして断言できるのか?

生き方を見ていればわかります。

私たちのほとんどは、まるで「自分は永遠に生きる」と思っているのかと思うくらい、無駄なことに時間を使い、楽しくないことで時間をつぶして、何を目指すでもなく漫然と生きています。

 

その話はまた別の機会にするとして、今日は別の話を。

 

先日会社の中でアンケートがありました。

あまり具体的には言えないのですが、「自分の組織に足りないものは何か?」というような内容のアンケートです。

私は役割上、その集計をする係になりました。

 

このようなアンケートを取ると、どんな結果になるかわかるでしょうか?

自分の欲求や立場を全く無視して、本当に自分の組織や自分のことを客観的に考えた意見を上げてくる人は基本、誰もいません。

強いて言えば、正社員よりは派遣社員やアルバイトの人の方が、会社や仕事に対して執着やこだわりが無い分、まともな意見が多いように感じました。

それでも、自分の立場を捨てて本当に「その通りだ」と思う意見を書く人は少ないものです。

 

だれもが認められたい

「職場のコミュニケーションがうまくいっていない。もっと職場でコミュニケーションをたくさん取るべきだ」

そう書いてくる人は世間話が大好きでコミュニケーションの上手な人です。

「無駄なおしゃべりをせずに仕事に集中するべきだ。みんな集中力が足りない」

そう書くのは黙々と仕事に集中している人です。

「挨拶の声が小さい。大きな声であいさつをするべきだ」

そう書いてくるのは挨拶の声の大きさが自慢の人です。

「改善提案の数が少ない。もっとみんな改善提案を出すべきだ」

改善提案をたくさん書く人はこう書きます。

 

ほとんどの人が「自分の得意なこと = 職場に足りないもの」だと書いてくるのです。

つまり「この職場で足りないこと、みんなが難しくてできないことを私だけは出来ています」とみんながアピールしたいわけです。

 

皆さん意識してか意識せずかわかりませんが、驚くくらいそういう結果になります。

「なるほど、確かにこれをやれば職場の業績は上がるだろうなあ」と思うようなことを書いていた人は皆無でした。

 

私もこういうアンケートの集計をやる立場でなければ、無意識のうちに自分の得意なことを書いていることでしょう。

そのくらい、自分を客観的に見るのは難しいのです。

 

逆に言えば、誰かにそういう質問をすればその人が「自分が何に自信を持っているか」がはっきりわかります。

「あなたの長所は何ですか?」と聞いたら口ごもる人でも、「職場に足りないものは何か?」と聞くと雄弁に語りだすものです。

 

あなたも、職場で身近な人に質問してみてください。

「この職場に足りないものは何だと思う?」

そして、相手が「プロ意識が足りない、みんな仕事がいいかげんだ」と言ったとすれば、その人は「自分はプロ意識があり、仕事がきっちりしている」と間違いなく思っています。

 

もしそういう質問をしたときに、どう考えてもその人の長所でもなんでもないことを言ったとすれば、よほどの勘違いか、本当に頭の良い人かどちらかです。

 

だから何だと言われたら何だと言うことも無いのですが、そう思いながら質問をすると意外に楽しめます。

 

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