ななめの目

世の中の色々な事どもを斜め目線から切りつけます。仕事のこと、エホバの証人二世の話題、底辺高校の話題など。読者登録して頂いた方は相互でさせてもらいます。


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エホバの証人と子供時代の話5 -あなたは見ず知らずの人の家をたらい回しにされたことがありますか?

10月になりました。

10月と言えば運動会。

運動会と言えば騎馬戦。

騎馬戦と言えば戦争。

戦争と言えば平和。

平和と言えば楽園。

楽園と言えばエホバの証人ですね。

今回は苦戦しましたが、なんとかエホバの証人まで持ってくることができました。

それでは、タイトルだけでスキップされてしまうくらい不評な、エホバの証人と子供時代の話、第5話をお届けします。

 

実は当ブログ内では、このエホバの証人と子供時代の記事は大変不評でして、星はもらえないわ、アクセスも悪いわで良いところ無しなんです。

恐らく、読んであまり気持ちの良いものではないですし、ドロドロとした粘着質な不快感を伴うとか、色々な理由があると思います。

それではどうして書くのか?

このブログの目的の一つに、私と同じエホバの証人2世で辛い思いをした経験をお持ちの方々と、いつかオフ会をするというものがあります。

そのため、どれだけ不人気だろうがなんとしてでも書き続けたいと思います。

 

 

さて本題ですが、あなたは見ず知らずの人の家を泊まり歩いたことはあるでしょうか?

厳密には母のエホバの証人つながりなので、見ず知らずではありません。

しかし、私は集会に行ったり行かなかったりでしたので、私からすれば、ほぼ他人です。

事の発端は父から母へのDVです。

まあ、事の発端というほどのことでもなく、しょっちゅうDVはありました。

www.nanamenome.com

 

父は母を「殺しにかかる勢いで」殴りまくります。

大抵はどこかで正気に戻って引き返して、しばらくしたら、父も母も何事もなかったような顔をしています。

母の顔はバッチリ腫れてるんですけどね。

そして時にはあばらを折って病院に行ったりもするんですけどね。

でも、母はエホバの証人です。

右の頬を打たれたら左の頬を差し出す人たちです。

事が終われば意外なほど、平然としています。

 

でも時々母にもスイッチが入って

「出て行ってやる。こんなサタンの支配する家、出て行ってやる」

となってしまう時があります。

普段怒らない人が我を忘れて怒り狂っているさまは恐怖以外の何物でもありません。

 

ごく普通の火曜日、学校から帰ると母親が意味不明なことを叫びながらタンスの中身をひっくり返しています。狭い家の中は服や下着が散乱して足の踏み場もありません。

 唖然とする私の姿を見て母は叫びます。

「もう出ていくから!〇〇(姉の名前)が帰ってきたら、この家を出ていくから!」

そう叫びます。

いや、出て行くって・・・そもそもどこへ?(母の実家は遠方です)

もちろんホテルに泊まるお金なんてあるわけがありません。

家族4人の生活費が、家賃、光熱費含めて7万円くらいしかない家庭なのです。

 

母と私、そして姉の3人は結局エホバの証人の 姉妹のお宅におじゃまします。

姉妹は40代。母子家庭の母親です。小学生の子供二人、そしてお祖母さんの4人で古い古い2階建ての戸建てに住んでいます。

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家は2階建ての戸建て。

とても古くて、そして狭いです。

1階の和室はお祖母さんが使っています(エホバの証人ではない)。

台所は本当に台所しかない(ダイニングが無い)タイプです。

 

そんな家に4人住んでいるだけでも狭いのに、親子3人が大きな手荷物やらランドセルやらを持って泊まりに来るのです。

その狭さたるや、大阪刑務所の囚人の皆様もびっくりです。

 

姉妹の子供たちは思い切り私たちをにらみつけます。

それは当然です。

私たちでも逆の立場ならそうするでしょう。

そして、テレビゲームやおもちゃがあるような家ではありません。

その状態が延々と続きます。

母と姉妹は子供達の様子などお構いなし。普通にしていても借金まみれで貧困、DVの嵐。その上今は、金も行き場も無いままに家を飛び出しているという事態の深刻さをノミのフンほども理解していないのではないかと思うくらい、楽しそうにエホバ談義をしています。

 

 もちろんその日は姉妹の家に泊まります。

姉妹の家にも我が家と同様、お風呂はありません。

(そこまで昔の話ではないですが、エホバの証人のご家庭は貧しい家が多いのです)

 そして姉妹の家族も私たちも、その日はノー銭湯デーです。

(お風呂の無いご家庭で、毎日銭湯に行くことは通常ありません)

そして、翌日、私たちは姉妹の家から学校に通います。

 登校班?

なにそれ?って感じで無視です。

いつもの登校班に連絡とかもしません。

なにせこっちは生きてるだけで精いっぱいなんです。

そもそも母は、子供が特殊な登校方法をしているということに、気が付いてもいません。

 

翌日、姉妹に別れを告げ、今度は老夫婦のエホバの証人宅にお泊りします。

老夫婦は潰れかけの市場で文房具屋さんを経営しています。

お客さんは基本的に来ません

店の奥に6畳くらいの一間だけがある店舗一体型の家です。

その6畳一間が生活スペースの全てです。

基本的にその家には何もありません。

当時のエホバの証人はテレビはサタンの影響があるということで、あまり見ませんでした(今は知りません)。

全くの無風、ただ時間だけが存在する空間では時間はあまり流れていきません。時計が壊れたのかと思うくらい、時間が流れません。

老夫婦は終始ニコニコしていますが、ほとんどしゃべりません。

母は姉妹宅の時と違って、ひたすらものみの塔を読みふけっています。

 

私たちはなにもできずに固まっているだけです。

その日は銭湯デーでしたので、外に出ると少し救われた気持ちになりました。

 

老夫婦宅には2泊しました。

そして金曜日の集会のとき、父が申し訳なさそうな顔で集会所で待ち伏せしています。

父は基本寂しがり屋なので、本当は母がいないと生きていけません。

だから家出すると、そこらじゅうを探し回るのです。

そしてこの時だけは反省している父親と、家族4人で仲良く?家に帰ります。

 

そんな子供時代の話でした。

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