ななめの目

世の中の色々な事どもを斜め目線から切りつけます。仕事のこと、エホバの証人二世の話題、底辺高校の話題など。読者登録して頂いた方は相互でさせてもらいます。


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自分探しに遅すぎると言うことはない

もう2月も終わって、もうすぐ3月です。

学生の方なら、3月と言えば卒業の時期だったり、学年が上がる時期ですね。

社会人の方は異動があったりしますが、ほとんどの人は今まで通りの仕事をすることでしょう。

この時期になると人生に迷う人も多いのではないでしょうか?

私も毎年迷うのです。

今の仕事が自分に合っている、大好きだ、天職だ、そう思える人はとても幸せです。

でも心からそう思える人は社会人として働く人の内、5%も居ないのではないでしょうか?

ほとんどの人はお金のため、生活のために仕方なく働いているか、もしくは嫌だと思う感覚を押し殺して働いているか、もしくは他に選択肢が無いと自分に言い聞かせているか、変化が面倒で惰性で働いているか、いずれかではないでしょうか?

 

私の同僚にすごく営業成績の良い後輩がいます。

常に予算大幅達成とはいきませんが、おおむね予算は達成しますし、予算が達成できない時でも「こういう状況なら仕方ないな」とだれもが納得するような場合だけです。

彼は恐らくうちの会社で役員を目指せるかもしれません。

それくらい優秀ですし、誰よりもハードワークをしています。

ところが、彼は自分の会社の製品を愛してはいないのです。そして、仕事も好きではありません。

家に帰って仕事のことを完全に忘れ、ゲームをしている時間が一番幸せだそうです。

でも彼は言います「自分はプロだから、好き嫌いで仕事を考えてはいけない。モチベーションが湧かなくても全力で仕事をしなければいけない」

そして、好きでもない仕事を、歯を食いしばって、常に全力で、手を抜かず、気を抜かず仕事に当たっています。

転職とか、今の仕事が自分に合っているかどうかなんて、そんなこと考えることも無いそうです。

まるで働きアリのように、そして、自分の人生はそのように運命づけられていると諦めているかのようにも見えます。

後輩ですが、私は尊敬しています。

しかし、尊敬はしますが、その精神性は真似できないし、真似したいとも思いません。

 

最近は時代も変わってきて、転職もやりやすくなりましたし、インターネットを使った副業もやりやすくなりました。

一度会社を辞めても再就職はしやすくなりましたし、会社に頼らない生き方も増えています。

しかし、やはり良い大人が「自分のやりたいことを探す」「会社を辞めてフリーになる」ということは、恥ずかしいこと、未熟なことだと思われる風潮があります。

でもそれは本当に未熟で恥ずかしいことなのでしょうか? 

 

生きている限り、自分に最適な人生を誰もが模索し続けるべきだ

最近は平昌のオリンピックがにぎわっています。将棋の藤井聡太さんの活躍も目覚ましいものがあります。

アスリートにせよ、プロ棋士にせよ、彼らは自分の技術を向上させるため、より上を目指すために常に探求し続けています。

トッププレイヤーは少しでも新しい優れた練習法があると聞けばそれを試します。常に自分を向上させる情報を求めているのです。

逆に情報を断って、新しいことを取り入れず、昔から続けている練習法を頑なに続けているような人はトッププロにはほとんど居ないことでしょう。

技術革新が早く、AIの進歩も目覚ましい現代で、変化していかない人はトップには立てないからです。

将棋の世界でも、今はAIを取り入れた練習をしているプロがほとんどでしょう。

仕事の世界でも、10年前、20年前の仕事のやり方や事業方針を頑なに貫いている会社は生きていけません。

事業で成功するためには、一度立てた事業方針も日々「本当にこれで良いのか?」と考え続けることが必要ですし、新しい状況が生まれたら「事業の進め方について、見直すべき点は無いか?」と考え直すのが普通です。

それは別に変化の激しい現代に限らず、どんな時代でも同じではないでしょうか?

 

それなのに、個人の人生だけは「良い年を過ぎたら落ち着かなければいけない」とか、「不惑の歳だ」とか、「同じ会社で頑張って勤め上げるのがまともな人生だ」などと考えるのは、はっきり言って異常です。

 

会社の事業は人生と違って失敗してもやり直しがききます。

それでも、最後の最後まで油断なく、抜かりなく、変化に合わせた状況判断を求められるのが事業運営なのです。

個人の人生も同じです。

例えばあと5年で定年を迎える人が、「あと5年で定年だから、我慢して何も考えず勤め上げよう」と考えるのは、最後の最後で詰めが甘くて事業を失敗させるのと同じことなのです。

もちろん色々模索したり、考えに考えたけど、結果的に「同じ会社で定年まで働いた」「今と同じ仕事を死ぬまで続けていた」ということはあるでしょう。それはそれで良いと思うのです。

しかし、「もう良い年だから会社を辞めるなんて考えることも許されない」「新しいことを始めるなんてありえない」と盲目的に信じて、好きでもない仕事を我慢して、もしくは他の事から目を切ってやり続けるのは端的に言って、人生の消耗です。

もし、今の仕事が、人生が、「何か違う」と思うのであれば、そこから決して目を切らずに、絶対に他の人生を模索し続けるべきです。

すぐに仕事を辞めろとか、明日家出をしろとか言う話ではありません。

しかし、模索はし続けるべきなのです。

自分に最適な人生が他にないのか?

もっと幸せになる方法は無いのか?

幸せそうな人はどんなことをしているのか?

自分がうらやましいと思うのはどんな人か?

その人のようになるにはどうしたら良いのか?

いくら模索しても、結果的に何も変わらないかもしれません。

「何か違う」と思っていた今の生き方が、実は自分にとって最適な生き方だったことに気付かされるだけかもしれません。

でも、「この年になって自分探しなんて・・・」とか、「〇〇歳を過ぎて転職なんて・・・」とか「家族に迷惑をかけるから・・・」などと言うことを理由に、何も考えずに惰性で今の「何か違う」と思う人生を送り続けるのは大問題です。

 

私は常に自分の人生に疑問を持ち続けています。

そして常に模索し続けています。

結果的に何も変わらなくても、模索し続けた結果だから仕方ないと割り切れます。

自分探しをするのは未熟なことではありません。

人が自分探しを止めて良いのは、死ぬ時だけだと思うのです。

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